都市伝説
公開日:
きさらぎ駅
出現: 深夜の無人駅
被害: 失踪
■ 怪談話
あの日は、終電に間に合ったことだけが救いだと思っていた。
仕事が長引き、疲れ切った私は車両の隅に腰を下ろし、窓の外をぼんやり眺めていた。乗客は数えるほどしかおらず、静かな車内には走行音だけが響いている。いつもの路線だったから、途中で眠ってしまっても問題ないと思っていた。
どれくらい眠っていただろう。
目を覚ますと、車内には私しかいなかった。
不思議に思いながら窓を見ると、電車はまだ走っている。いつもなら、とっくに終点へ着いている時間だった。
「寝過ごしたのか」
そう考えたが、停車する気配がない。
やがて減速し、小さなホームへ滑り込んだ。
駅名標には見慣れない文字が書かれていた。
『きさらぎ駅』
聞いたこともない名前だった。
降りるべきか迷ったが、車内に残る理由もなく、私はホームへ降り立った。
扉が閉まると、電車は何事もなかったように走り去っていく。
そして、あたりは静寂に包まれた。
駅舎はなく、小さな待合所があるだけだった。照明は弱く、遠くまで線路が続いている。案内板も時刻表も読めないほど古びており、人の気配はまったくなかった。
携帯端末は圏外だった。
時刻を見ることだけはできたが、時間は深夜を大きく過ぎている。
しばらく待てば次の電車が来るかもしれない。
そう思って腰掛けていたが、一時間以上経っても何も起こらない。
風もなく、虫の声さえ聞こえなかった。
やがて、線路の向こうから何かを叩くような音が聞こえ始めた。
一定の間隔で、
カン。
カン。
カン。
と響く。
姿は見えない。
音だけが少しずつ近づいてくる。
理由も分からないまま、本能的にホームの反対側へ移動した。
音は駅の手前で止まった。
静寂。
それから、今度は私の背後で同じ音が鳴った。
振り返っても誰もいない。
なのに音だけは、少しずつ私との距離を縮めてくる。
私は耐えきれず、駅を離れることにした。
線路沿いなら、どこか別の駅へ着くだろう。
そう考えたのだ。
歩き始めてから気付いた。
景色が変わらない。
同じような柵。
同じような線路。
同じような暗闇。
どれだけ歩いても、進んでいる実感がない。
それでも後ろへ戻る勇気はなかった。
途中、小さな踏切があった。
遮断機は上がったままだが、警報だけが鳴っている。
列車など見えない。
渡るべきか迷っていると、踏切の向こう側に人影が立っていた。
暗くて顔は見えない。
こちらを見ているようだった。
私は思わず声をかけた。
返事はない。
一歩近づくと、その人影は同じだけ後ろへ下がる。
距離は縮まらない。
何度繰り返しても同じだった。
気付けば、人影はいつの間にか消えていた。
嫌な汗が止まらなかった。
私は再び歩き始めた。
今度は遠くに明かりが見えた。
ようやく人がいる場所へ着ける。
そう思った瞬間だった。
背後から、あの音が聞こえた。
カン。
カン。
カン。
さっきより速い。
振り返らずに歩く。
音も速くなる。
歩幅を広げる。
音はさらに近づく。
最後には走っていた。
息が切れ、足がもつれそうになる。
それでも音は止まらない。
明かりまであと少し。
そう思ったところで、足元に違和感を覚えた。
見覚えのあるホーム。
見覚えのある待合所。
私は最初の駅へ戻っていた。
歩いた時間は何時間にも感じたのに、結局どこへも行けなかったのだ。
そのとき、駅の放送が流れた。
雑音だらけで内容は聞き取れない。
最後の一言だけがはっきり聞こえた。
「お待たせしました」
線路の先に一両だけの電車が現れる。
行き先表示は真っ黒だった。
停車しても扉は開かない。
車内には大勢の人影が座っているように見えた。
誰一人動かない。
誰一人こちらを見ない。
やがて、一番近い窓際の人だけが、ゆっくり顔をこちらへ向けた。
暗くて表情は分からない。
ただ、その人が口だけを動かした。
「乗れば帰れる」
声は聞こえなかった。
唇の動きだけで分かった。
私は一歩前へ出た。
その瞬間、携帯端末が震えた。
圏外だったはずなのに画面だけが点灯している。
通知も送信者も表示されない。
そこには短く、
「乗るな」
とだけ書かれていた。
顔を上げると、電車は消えていた。
ホームには私しかいない。
駅名標だけが闇の中でぼんやり浮かび上がっている。
それ以来、私は普通の駅で終電を待つたびに、不安になる。
停車した駅名を何度も確認し、見慣れない名前ではないか確かめてしまう。
もしあの夜、通知が届かなかったら。
もしあの電車に乗っていたら。
私は今でも、ここへ帰って来られたのだろうか。
答えを知る者は、きっといない。
■ 概要
きさらぎ駅とは、深夜に通常とは異なる駅へ到着した際に現れ、降車した者を異常な空間へ誘うことで知られる怪異である。周囲には人影や不可解な現象が現れ、出口や帰路を見つけられないまま異常な状況をさまようとされる。最終的には現実へ戻れず、失踪すると語られている。
■ カタリヤの記録
- 登場時期
- 平成初期
- 登場地域
- 日本全国
- 対処法
- 不明
- 補足
- 確実な生還方法は確認されていない